スコッティさんは楽に暮らしたい。

楽ちん&節約してスッキリ暮らしたい36歳マタニティ主婦と主人と娘と犬の生活。

わたしの不妊治療の経験談 その1

まず前提として今日現在この記事を書いているスコッティは2歳児の娘をもつ、

第二子妊娠中の主婦です。

最終的には不妊治療なしでの自然妊娠にて出産しています。

「こんな人間もいたよ」という経験談のひとつとして、お読みください。

 

 

自然に任せたまま6年経過

我が家は私が27歳のときに結婚。結婚式を終えると避妊をやめました。

いわゆる「子作り解禁」です。

私の生理について

一般的にいわれている28日周期と違って一定ではなく、

22日~32日周期と月によってバラつきがありました。

しかも生理痛・貧血がひどい!私は生理が5日間。

特に最初の2日間が下腹部全体の重い鈍痛・出血による貧血ともに辛く

鎮痛剤は心の友でした。

鎮痛剤を使用しても股間のなんともいえない、あの鈍痛は残る。貧血も残る。

会社の周囲には「あいつ絶対いまアレだろ」と分かってたでしょう。

使えないアメーバ女が鎮座してました(笑)

幸い、会社が有給取得を推奨している流れもあったので

月に一度の生理予定日には有給予定を入れておく必要があるほどでした。

予測取得なので生理日と外れることも・・・その場合は地獄です。

もちろんそんな状態では業務に支障があるので婦人科にも受診済み。

しかし婦人疾患(子宮内膜症、子宮腺筋症、 子宮筋腫など)はなく体質的なもの。

私の実母も姉も生理が重かったので家系的なもののようで・・・。

試験的に低用量ピルを使用していたこともありますが1年ほどで辞めました。

(このあたりの話はくわしくまた別記事で書こうと思います)

 

こんな状態で、主人には生理期間中の私を交際中から理解してもらってました。

生理中はおうちデートが基本です。

 

 

さて、そんな体質的重い生理の私。

結婚1年目から、いわゆる「子作り解禁」状態となりました。

しかし夫婦揃って趣味に仕事にと夢中になり、

「自然にできれば~」と暢気に構えていたため排卵日のことなど考えずです。

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休みがとれれば登山だのボルダリングだの・・・

生理周期バラバラだし基礎体温なんて付けてもない!

でも手帳に生理日と仲良しした日は記録してました、ハートマークで。

学生か。

 

 

そして6年が経過。私は専業主婦になっていました。

33歳になる年で「ん~子供できないなあ?」となります。

ネットで調べると以下のような定義が・・・

不妊」とは、妊娠を望む健康な男女が避妊をしないで性交をしているにもかかわらず、一定期間妊娠しないものをいいます。日本産科婦人科学会では、この「一定期間」について「1年というのが一般的である」と定義しています。
不妊症|公益社団法人 日本産科婦人科学会

 

「一応うち不妊の夫婦じゃん!」と驚きました。が、一応をつけるくらい暢気。

高齢出産についてのリスクをおぼろげに認識はしていた私。

「子供を作ること考えよう。年齢的に病院が必要だと思う」と私から切り出しました。

そして地域の不妊治療専門クリニックをネット検索し、受診することになったのです。

 

不妊治療専門の病院へ、でもその前に

「自宅から通える範囲」「不妊治療専門」のキーワードにネットで検索。

検索上位に出てきて公式サイトも見やすく、

「施設も綺麗そう!」という理由で吉祥寺の「うすだレディースクリニック」に決定!
www.usuda-clinic.com

正直、婦人科クリニックは見る場所が場所なだけに、

緊張感なく通えそうなサイトTOPの待合室の写真に惹かれました。

 

さっそく行こうと予約希望の電話。

基礎体温表ありますか?」といわれたので「ない!」というと、

「せめてひと月分でも・・・」とのこと。

 

大急ぎで、妊活の基本グッズである婦人体温計と基礎体温表ノートを購入。

私が購入したのはこちらです。

まずは寝床で1分じっとしたくない10秒計測かつ一番安い計るだけ体温計。

 

自動でグラフを作ってくれる等、イマドキの体温計はものすごいです。

 

が!クリニックに基礎体温表を提示することがわかっている私の場合、

コピーであちらのカルテに入れるかもしれない。

医師にスマホタブレットのまま提示しませんよね。

結局紙で見せる・・・アプリ等だと印刷するのも非常に面倒くさい! 

ので結局、従来の紙の基礎体温表を購入しました。

基礎体温表をこれから買う方、

自分用ならアプリで十分ですが病院で提示するなら紙のほうが楽だと思います!

 

 

こうして、

ひと生理周期分の基礎体温表(素人目には完全に排卵日不明)を手に

受診したのでした。

 

しかし非常に待つ!待つ!

途中で必要なら採血・採尿、看護士の事前ヒアリングがありますが1時間は待ちます。

平日週末関係なく、院内は様々な年齢層の女性・カップルでいっぱいでした。

・・・正直心強かったです。

不妊は悲壮感あることじゃないんだな。

特別じゃないんだな、と。

 

とはいえ、院内に雑誌・写真集・ウォーターサーバーがありましたが

時間潰しアイテム(私はスマホ)必須です。

暇なもんは暇です。

 

そして治療内容はというと、早速医師によるヒアリング。

結婚6年目で一度も妊娠なし。生理周期もばらばら。

まずは基本的な内診はもちろん、

いつ妊娠してもいいように治療の前に様々な病気等ないかの血液検査から始まります。

 

しかし2~3回目の通院で気づく。

医師が基礎体温表を見ることはありませんでした(笑)

診察の前に看護婦には見せるようにいわれるんですがコピーもとりません。

 

医師に確認しても「内診しますからいいですよ、別に」と断られ、

最先端不妊治療においては基礎体温表が必須じゃないことを悟る。

医師からすれば内診による子宮内膜の厚さからの次の生理予測、排卵予測のほうが

よっぽど正確な情報なのでしょう。

そりゃそうだ、素人が寝ぼけて計ってるんだもんなあ!

線ガッタガタだもんなあ!

(※とはいえこれは他クリニックでも同様かは知りません)

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通院でお金と時間を割いていても不必要なところに労力砕きたくない。

医師の確認も(暗に)とった。

楽に暮らしたい私は2周期め以降は 持って行きませんでした。

 

持って行かなかった回では事前ヒアリングで看護士さんには

「ちゃんと持ってきましょうね~」と(こいつやる気あるのか)と

ちくり言われましたが全く意に介さず。

 

そんなこんながありつつ、何度も通いました。

特に排卵日周辺は通院感覚が短いです。

内診による想定排卵日当日に受診して、

のち排卵日当日に注射、そして仲良し指示&実施。

 

平行して私のフーナーテスト、子宮卵管造影などなど。

主人は精子の検査。

検査と平行して2周期はタイミング療法をしていました。

 

はいっきりいって検査の負担が重かったです。

待ち時間、苦痛、何回も通って待ち時間、痛み。

・・・専業主婦でなければ週末に排卵日が集中するわけもなく、

仕事のある方は仕事と不妊治療の両立で、もっと大変でしょう。

 

提出した主人の精子の検査結果を提出当日に聞こうと思い、

数時間2時間以上の待ち時間があるときには、

井の頭自然文化園に一人で行きました。

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すでに亡くなりましたがおばあちゃん象「はなこ」の前。

ただただボーっとしたものです。

 

 

しかし検査の結果は「不妊の原因になるような疾患などはなし」

私たちは「原因不明の不妊夫婦でした。

 

そして結婚6年間で不妊だった私たちは

治療開始から3ヶ月目には早々に人工授精の提案を受けたのです。 

 

 

人工授精ではじめての妊娠

 人工授精(AIH) 。

「人工」「受精」、

日常で生活してたら自分に使うことはない、なかなかのパワーワード

何も知らないと「いわゆる顕微鏡で受精してってやつ!?」と思っていたのですが、

簡単にいうと主人の精子を洗って不純物を取り除きイキのいい子たちを、

直接子宮へスポイト(正確には違う機器ですが、あくまでイメージで)で届ける、

という治療ですね。

 

我が家の場合は平日だったので主人の来院は仕事のためできず。

①生理終わりごろに来院、排卵日を確定し、人工授精日を決定

②人工授精日当日に私が主人から採取したモノを持って来院

③院内で精子を洗う?作業等する

④内診台で注入

⑤注射

 

色々な説明はうけるものの、

「普通の仲良しで6年も受精しなかったものが、これでできるわけ?」というのが

正直な感想。

 

が、その数日後に私を襲う原因不明の寒気。

「風邪かな?」と思いつつも季節は6月の汗ばむ時期で、風邪らしい症状はなし。

風邪なんだろうかとモンモンしているうちに生理が一週間遅れていました。

 

とはいえ。

生理周期が一定でない夫婦なので

「もしかして赤ちゃんできたかも!」「またまた~」という漫才が

恒例になっていた我が家。

 

不妊治療を始めてから買ってあった市販の妊娠検査薬を使ったところ結果は「陽性」!

第一回目の人工授精での妊娠が判明しました。

 

そして病院に電話し、

主人とともに指示された時期に来院すると

子宮外妊娠などの異常妊娠の心配もなく無事着床はしている。

 

そうして人工授精から2週間もしないうちに軽いつわりが始まりました。

 

日に日に車酔いのような気持ち悪いつわりが増してゆくので

病院まで距離があった私は、心拍確認前に近所の病院への転院を申し出ました。

 

 

そして赤ちゃんが無事生まれ・・・・ではありませんでした。

 妊娠初期は流産のリスクがあったのです。

 

それから数週間、初めてのつわりと戦いつづけたものの、

転院先の病院で心拍確認が出来ないままの繋留流産の診断がくだりました。

既に卵は、死んでる状態。

私は手術を受け、妊娠9週で妊婦ではなくなりました。

 

 いまでも分かりません。

「いのち」って、いつから「いのち」なんだろう?

 

 

流産手術、そして

流産確定の診断から、手術日までは夫婦ともども地獄でした。

もう卵は生きていないのにつわりはあるのです。

家事もできない、気分転換もできない。

 

夕方以降は特につわりがひどくなります。

毎晩のようにトイレで大泣きしながら

「何で生きてないのにこんな目にあうの」とか

「もうやだ、検査も治療もあんなに痛かったのにもうやだ」とか

全部全部辛さを涙と言葉を吐いてました。

 

横で背中をさすってくれながら、

うがいのためのコップをもってきてくれた主人は

聞くしかできなず、ひたすら身体を気遣ってくれていましたが辛かったと思います。

 

叱咤激励せず、かといって泣いたりもせず。

辛そうな顔でただただ横で同調していてくれました。

 

繋留流産は自然流産(自然に子宮の内容物が出てくるまでほうっておく)も

選択肢にありました。

しかし「万が一の場合は大量出血のリスクがある」

「結局内容物が残って手術することになる可能性がある」などの説明もあり、

私は手術を選択しました。

 

日帰り入院での手術です。

手術の12時間前から飲食NGで、

当日午前中に入院、点滴(口から水分とってないので?)。

入院病棟は大部屋でしたが、

他の患者さんがいない・・・妊婦の方がいない部屋でした。

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手術はパッと歯科治療のようにできるわけでなく、

術前処置として子宮口をひらくための処理をします。

処置、痛い。

そのあと入院ベッドに戻る。

異物を子宮口にいれたまま、じりじり開いてゆく。痛い。

すぐに鎮痛剤(点滴に注射してくれた)をお願いしました。

 

「さっさと終わってくれないかな」とずっと考えてました。

だってこの痛みも辛さも意味が何もない。

口先だけでも明るいことを繰り返したくなるものです。

ずっと「お腹すいた、お腹すいた」と繰り返してました。

手術まで、うつらうつら寝たりおきたりしていました。

 

そしてベッドに横になったままドラマのように運ばれてゆき、

手術室入り口で主人と握手してバイバイ。

生まれて初めての手術室はドラマのようにグリーン一色!

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手術は完全麻酔だからと安心してましたはずなのに、

手足をベッドに完全拘束されると。

自分が思っていたよりも多くの医師、看護師さんが入ってきました。

10人近くいたでしょうか。

そして内診台のように足を開いたところで言いようのない恐怖が沸きました。

そういえば生まれて初めての手術だ!

 

「あの、すいません。こわいです!痛いのもういやなんです!」と

半泣きでおろおろしていたら、

看護師さんが「痛いのはもう麻酔してからじゃないとないから。大丈夫」と

手を握ってくれて安心しました。

点滴されたまま、その管に何かを注射した麻酔医さん?が

「数字をかぞえて~」といったところで真っ暗。

 

 

寝ました。

 

 

そしてハッと目が開くと、そこは入院病棟のベッドの上。

 

 

私は手術室から出てくると意識朦朧としながら

大心配の主人に向かって

「ピザが食べたい・・・・」と話したそうです。(実話)

 

口先だけじゃなくて本心だった、私の空腹。

夕方まで入院病棟で眠り、退院前に内診。痛い。

けど術前処置に比べたらマシ。

 ただ「もう二度とこんな目に遭いたくない」と思うには十分な辛い経験でした。

 

不思議なことに手術直後から、

あんなに辛かったつわり(頭の中の車酔い)が完全に消えました。

自宅へ帰り、夕食はもちろんピザ。

 

それから暫くは薬を飲みながら安静にすごし、

ひと月後には普通の生活に戻っていい・・・

つまり子作りも再開OKという話でしたが

私はもう不妊治療はどうでもよくなってました。

主人もまた、そんな私の思うとおりにしていいと言ってくれていました。

 

 

不妊治療を始めて、ちょうど半年。

ジェットコースターのような半年でした。

夫婦ともども疲れきって季節は秋になってました。

 

 

そしてやさぐれた私は、

こんなに優しい主人なのに「離婚したい」と思うようになってしまったのです。

 

 

つづく。

 

 

 

 

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